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happyNEWyear? NO!入浴

2020.01.13

新年明けましておめでとうございます!

今回の年末年始の休暇中、雪も降らず、ぽかぽかしてていいお天気でしたね。
兄弟の子には、お年玉やって、地元の氏神さんにも初詣したし、ちょっくら四国一周でもしてみんべやと、外周路線が一番近い高松スタートで挑みました。

ま、ゆっくりやろうまいと、まず屋島に立ち寄り(屋舘の形しとる)、お酒が欲しくなってしもたので、健康ランドで風呂入ってビール飲みながら読書を(マンガですが)満喫して1日を終えてしまいました…。

次の日気持ち切り換えてreスタートしたけど、旅費を増やしてやるぜと、鳴門◯◯場に立ち寄ったのがいけなかった!

もう、ボコボコスコスコ。

完全に心が折れ曲がったのか、南へ走ってた車がいつの間にか西へと195号線を走ってました。

ハ〰️

家の用事でもすんべと、会社にミニミニのバックホーと2トンダンプを借りて、頼まれてた用事をしてたんですが、異変に気付き見てみると、油圧のホースが裂けかかっとる…。

これもあえなく中止。

機械を戻してアパート帰って風呂入って寝よ!

と、思ったら、出ない!

湯が出ない!

-給湯器壊れとる〰️

電話繋がらんし、いよいよじゃ〰️

正月やし、  お守り買おう!

俺!   お守り買うと、心に誓い、先日、屋島へ上がる車の渋滞に巻き込まれたのを思い出し、その先には霊場屋島寺があり、時期的に其処でいいお守りにあやかれそうな匂いがしたし、相当の人気らしいので、其処で買うぜと決心。

またまた屋島へ…。

途中、古戦場跡地を静かに眺めていたゴールドヘアーの足がスラッとして前手を結んで、ピッといかにも品のある女の子らしい佇まいの『女性らしき』人を見付けて、無意識に車を止め、無意識に車を降りて声を掛けようと思った瞬間、こちらに気付いたのか、とても可愛らしい振り向き方をしてくれたのですが、ぎょ!と衝撃!

僕は無意識に走り去って終いました。

このまま意識を失うかと思いました。

その人は、なんと、BOOWYとgirlがフュージョンした人でした。

顔はかなりBOOWY寄りでした。

また、魔物に出くわしました。

早くお守りを手に入れなければ!

あまりお寺とか興味が無い方なんで、スタスタと入場して、お賽銭して、
これ下さいと、さっさっと用を済ませて終いました。

手に入れたお守りは

破魔弓と守護矢

フフフ

梓弓屋島の宮に詣でつつ祈りかけて勇む武夫(屋島寺ホームページより)

ククク

「南無八幡大菩薩」

フハハハ

おのれ、さっきのオ◯魔め!この弓矢であの黄金のかつらを射落としてやる❗

ウソウソ❗もういませんでした。

面白い話のネタ出来たしご利益ご利益。
冗談は程々にしといて、今携わっている築堤工事にちなんで、吉野川の治水事業の歴史を調べてみました。

開発らしき動きが見え始めたのは、江戸時代。当時は、地域ごとで、お金や人手を出しあい竹林の植生や石垣による宅地の床上げなどが主で、小規模の築堤しか出来なかった見たいです。

その後維新戦争やらで年貢の取り立てや人手不足に困ってる間にも、毎年大きな洪水に見舞われて、多くの死傷者が出たとあります。

日本三大暴れ川と呼ばれていて、阿波で雨が降らなくても、土佐で大雨が降れば、川の氾濫が起きたとあり、その時の大水を阿呆水と呼び捨ててたらしいです。
大きな河川になると地方ごとの整備力は力及ばず、明治に入り河川法案という法の整備を急がせた動きがあったと記されています。内務省芳川顕正氏は貴族院会議にて河川開発に国庫からも共同出資しやすいように法の整備を求めたという発言がありました。

芳川顕正?近所で見たぞ?ほんまやで!ほら。

伯爵? 貴族? 

この話はおいといて、これにより内務省と徳島県の共同で吉野川改修工事事業に着工と記されてます。
この時、明治の初め頃から全国の河川整備に雇われて来日してたヨハニス,デ、レーケ(砂防の父)と呼ばれる土木技師この人の名は、見たこと有ります!谷沿いとか、ダムの近くとか、脇町にもあるで。

で、デ、レーケさんの監修の下工事を進めていたらしいのですが、このての工事は何ヵ月も何年も月日と労力と金銭を費やすし、その間にも大雨と洪水に見舞われ、古くから難工事とされていて私財を費やしたが予算をオーバーして切腹に追い込まれた人もいたり、住民の理解を得れず襲撃にあい命をおとした人もいたり、この大規模工事も一旦中止に追い込まれています。

1920年代大正に入りようやく第1期改修工事は完了したとあります。

その後に起きた、室戸台風、伊勢湾台風の水害の防御にその築堤は役に立ったと記されてます。

昭和に入り、急速な電力事業の拡大に伴って、ダム建設が進み、さらに河川開発が必要になってきていると言えます。

平成には、多くの災害が起きたと思います。
令和に入った今も簡単には不安を拭えない近況だと思います。

このように吉野川の歴史には、その流域に住む人達との壮絶な歴史が残されていました。

同時に過去の人達のお陰で今の生活を送れているのだとも思いました。

それとその生活を守る為に土木は在るのだと改めて思いました。

今年も無病息災で頑張ろう‼️

明日は龍希君です。